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新・都市論TOKYO


とても残念だけれど、認めなければならない。日本の都市がフランスやイタリアの都市のような美しい景観を手にする未来がいつの日か来るのを望むことが夢物語であり、現状否認であり、一種の逃避であることを。そう認識することは悲しいし、何だか寂しいし、とっても虚しい。


しかし、そのような諦観を胸に抱いて現実を見据えなければいけない。今よりも都市の景観が、眺望が、環境が、更に悪化して、取り返しのつかないことになってしまわないあいだに。そう、せめて歴史的文脈を大切にし、既存のストックを社会的資本として認める、まずはその小さな一歩から踏み出さなければならない。 ・・・・・・といった何だかセンチな気分にさせてくれる本だったりします。

隈 研吾 新・都市論TOKYO
756円(税込み)
集英社
隈研吾/清野由美(著)
238ページ
発売日:2008年1月17日
おすすめ度 ★★★★
お役立ち度 ★★★☆☆

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そもそも、日本の都市景観がお世辞にもあまり美しいと言えない理由の一端は、本書では以下のように書かれています。

いったん成熟期に入ってしまった都市の魅力をそこからさらに向上させることは一般的にいって決して容易ではない。しかし、日本においては、そのような一般論では論じきれないような独特の困難があった。



パリ、ロンドンをはじめとして、優れた景観を有するといわれる都市は十九世紀までに成長の時代を体験し、その都市の主要な骨格を形成していた。十九世紀以前と二十世紀以降とでは、建築デザインをめぐる環境は一変する。この境界線は1940年頃まで引っ張ってくることも可能であり、ニューヨークはそれ以前の大恐慌前後、エンパイヤステートビルやクライスラービルが建設された時点で、ぎりぎり都市の骨格を形成したともいえる。



十九世紀の建築において、デザインは建築様式(たとえばルネッサンス様式、バロック様式、テューダー様式)によってコントロールされていた。その様式は流行として移り変わってはいくが、一つの時代に建てられた建築は、おおむね一つの様式によってコントロールされている。



しかし、二十世紀半ば以降、様式によるこのコントロール機能は失効し、新しく建てられる建築はアンコントロールの時代に突入した。とりわけ、西欧の後を追い、ゼロから都市のすべてを立ち上げなければならなかった日本には二重の困難が課せられた。遅れてきた近代化という歴史的与件と、可燃の木造都市を不燃都市に作りかえなければならないという物理的与件の二つである。



その困難の代償として、二十世紀の日本人は海外旅行とテーマパークに異様に惹きつけられた、ととらえることもできる。海外にいけば、様式的コントロールが機能していた時代の、一つの連続体としての都市に出会うことができるからである。



十九世紀ヨーロッパにはまだ、様式的コントロールが健在であり、連続体としての都市を生成する社会システムが残存していた。しかし、二十世紀の半ばにこのシステムは完全に失効する。特にアメリカは、デモクラシーの国であり、資本には原則的にすべての経済行為が許され、都市は「連続体」から「粒子」へと徹底的に変質させられたのである。それは、自由、平等という近代社会の原理が持つ矛盾が、都市という現場において、きわめて顕著な形で無残に露呈したということだ。

何だか、この部分を読むと、日本の都市景観が相対的に欧米のそれに比べてあまりよろしくないのには情状酌量の余地があるかも、という気になります。そもそも前提条件からして、難しい条件からスタートしたから、と。しかし、 だからといって、それを承服するのか、というと別問題。たとえ、それが困難な道であったとしても、都市計画に携わる者は環境を改変し得る力を付託され、それに対する責任を担う・・・・・・ハズ。


しかし、高度成長期ならいざ知らず、成熟期から衰退期へと移行している昨今において、都市計画を行政に任せてもなかなか上手くワークしないし、魅力的な都市を期待することはできない。ちなみに、都市計画行政の変遷とその限界について、シュリンキング・ニッポンのp.37-43で元国土交通省の武内直文が自己の体験を交えながら語っている部分に詳しく載っているので、そちらを参照していただきたい。


ということで、ここからが本題。 「都市計画を行政に任せても上手くいかないのなら、最近やたらと乱立している民間の都市再開発を担った民間デベロッパーはどうなんだ?」ということについて、本書、新・都市論TOKYOは稀代の建築家・隈研吾がジャーナリストの清野由美と汐留・丸の内・六本木ヒルズ・代官山・町田といった東京の街を実際に歩いてまわりながら考察する、という形式をとっている。また、本書の各章は、隈による基調レポートと現地での隈・清野の対話によって構成されている。


まず始めの汐留は高度成長期において出現した旧国鉄の貨物駅跡地である。これを成熟期において大規模再開発するというソリューションは経済環境の悪化した昨今においてリスクが大きすぎる。こうして工業社会から脱工業社会へと移行した時代に合わせて、リスクとともに土地も切り刻まれ、複数の主体に売り払われる。全体的な景観を保全するという意識よりも、部分最適化を優先する都合上、複数主体間の意思疎通は上手くいかず、折衝は不発に終わる。



しかも、フランスに久しく現れたスター建築家、ジャン・ヌーヴェルとアメリカのテーマパーク型商業施設のデザイナーとして有名な、ジョン・ジャーディを同時起用して、いいとこ取りしようという節操の無さ。


ちなみに、汐留の担当部署は建設局の市街地整備部区画整理事業課で、同時期に再開発が進んでいた丸の内の担当部署は都市整備局の都市政策部。ということで、汐留は区画整理を、丸の内はまちづくりを標榜しているわけで、どちらの方がより魅力があるかは語るべくも無く。



ということで次は丸の内。そもそも、その歴史は三菱地所がその特権的な地位を生かして、時の政府からの払い下げを受けたことからスタートする。そして、明治時代から時間をかけて作り上げてきた中層の街区型都市という世界的にも稀な都市景観は、社会的な産業構造の変化を受け、脱第二次産業、脱政府密着を掲げて、第三次産業型都市へと転身を余儀なくされる。



特例容積率適用区域制度や特定街区制度、総合設計制度といった容積率移転のテクニックを使って、超高層化された都市景観はしかし、歴史的建造物の保存を可能にした一方で、今までに築き上げてきた至上稀なる都市景観との訣別という自己矛盾を顕在化させる。



そして、六本木ヒルズ。丸の内の三菱地所や東京ミッドタウンの三井不動産のような特権的な地位を享受できる立場にはなかったニューカマー、森ビルの森稔が理想を掲げて執念で作り上げた街。



元々広大にあった土地を再開発したわけではなく、多くの地権者と説得交渉を重ね、土地買収、インフラ整備に金を出せない行政の代わりに新たに道路を敷設し、民間の交差点整備に対する要望に応えるという利害関係者間の利害が一致した結果、出現した超高層。



しかし、このような無理を押し通した再開発は採算を合わせるために高収益が必要とされ、単位面積当たりの賃料を最大化することを目的として超高層の建設が必須となり、結果として周囲の街並みと隔絶してしまうというパラドクスを内包している。



更に、代官山。一帯の大地主である朝倉家と、名建築家・槇文彦という余裕と能力を持った両者が、30年という長きに渡って互いに手を取り合い、ゆったりと開発することによって紡ぎ出された奇跡の街。



しかし、その魅力ゆえに地価が高騰し、そのブランド力に目をつけたデベロッパー等が入り込んできた結果、凡庸な乱開発の餌食になるという二律背反的な宿命を帯びる。



あとは町田と北京。あまりにも長々と書きすぎたので、今回は割愛。詳しくは本書を読んで頂きたいが、六本木ヒルズや代官山のような20世紀的手法の内側でそれをつきつめた優等生的面白さではなく、20世紀的手法の限界を露呈した面白さがある、と語った建築家・隈研吾の評はとても興味深い。



以上、見てきたように代官山という例外を除いて、成熟期の都市において、現出した空地をどのように利用するか?という問いに対する答えは概ね二つに集約される。超高層ビル、低層商業施設、広場の三位一体によって再開発する20世紀型のソリューションがその一つ、もう一方が空地をそのまま都心部の緑地として整備すること。



後者の緑地化は低容積率かつ環境に優しく、新たな文化的拠点となるように整備することもできる、といった多大なメリットが挙げられるが、残念ながらこの案が実効ベースにおいて選択される可能性がほとんどない事は火を見るよりも明らかである。公共機関には金が無く、民間デベロッパーはリスクを恐れて、冒険しないからだ。



こうして成熟期においても、二者択一のうちのもう一方が考慮に値しない・・・というか、できないため、産業構造の転換の結果として現出した空地をなんとか埋めるという至上命令はまたしても20世紀型ソリューションである大規模再開発にその命運を託さざるをえない、という悲しい結論に至る。



しかし、人口が減少し、その結果、需要も減少する成熟社会において大規模再開発はよほど魅力的なものを提供できないのであれば、そもそもあまり必要とされていない。この必要とされていないけれど背に腹は代えられない、という自己矛盾を抱えながら行う大規模再開発はそれ故に失敗が許されず、リスク分散が至上命題となる。



リスクコントロールというと聞こえがいいが、ようはバラつき具合を抑えただけのこと。こうして、都市景観を鑑みるよりもまずはじめにリスクコントロールありきの、いつかどこかでみたあの光景ができあがる。



そう、高度成長期にのみ機能するソリューションである大規模再開発を成熟期にも利用せざるをえない社会状況、経済環境はその華々しさとは裏腹に、実は苦し紛れに繰り出された逃げの一手なのである。



個々の建築のクオリティは高いけど、それがみんなで集まるとまるで魅力の無い都市が出来上がる。そう、日本人って、連帯とか協力とか協調とか阿吽の呼吸とか、そういった感情の共有は大切にするくせに、こと建築分野というか都市景観になると、資本主義的な思想が鎌首をもたげて、ホッブス的な闘争状態でも平気で、それに疑念すら抱かない。何だか個々の建物は殺伐とした「万人の万人による闘争」状態にあって、スクラップ・アンド・ビルドが繰り返される。強いもの、魅力あるものだけが生き残り、小さくて弱いもの、年老いたものが淘汰されていく過程なんて、まさに原初の時代における人間の歴史の縮図そっくり。



部分最適化を繰り返し、オレがオレがと自己主張を繰り返した結果、現出した都市の景観は、いつかどこかで見たあの日の風景。少しずつ違うけど、大概同じ。こうして、魅力に乏しい都市景観がまた再生産されましたとさ、残念。・・・・・というお話。



この本は都市景観に対する夢や希望と訣別する為にお読み頂きたい。そんなものは抱くだけ無駄、少なくとも現状の単純な延長線上には夢や希望など無い。そう痛感するために。ガチャガチャした都市景観がお嫌いであればサッサと海外に逃亡するか、歴史的文脈が色濃く残る古都へと移住するか、殺伐とした都市景観に闘いを挑むよりもその方が無難かつ賢明。



そしてこの本は、高度成長期をとうに過ぎ、成熟期から衰退期へと移行中の我が日本が、正しく現状を認識し、早急なパラダイムシフトを迫る啓発の書・・・・・・なのかもしれない。

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