医師も人間である。というか、医師も医師である前にひとりの人間である。それ故に、意思決定に逡巡する事もあるだろうし、力が及ばない事もあるだろう。
それに近い存在はあるかもしれないが、完全な人間など存在しない。とすれば、完全な医師という存在も同時に存在しえない。しかしそれでも、感情論としてあたかも医師は絶対の存在でなくてはならない、間違ってはならないと、という暗黙の前提があるような気がする。
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意識する・しないに関わらず、医師は間違えてはならない、正しくなくてはならない、という無謬性を前提としてその是非を問うかぎり、昨今の医療不安に解決の糸口は見出せないだろう。その理由は、医療に関わる制度設計も含めて、現出している問題全てが医師のマンパワーで解決すべきである、という文脈をもってしか語られないからだ。
そして、産婦人科や小児科に人材が確保出来ないのも、救急に人手が足りないのも、勤務医が開業医に転向してしまうのも、そのありとあらゆる全ての問題は医師に無私の精神が欠如しているからだ、などと精神論に問題が掏り返られたその瞬間に、医療は崩壊の一途を滑り落ちていったのかもしれない。
そもそも、医療とは人と人との関わり合いのうえでしか存在しえないという特性上、結果責任の所在が誰にあるかを突き止めるのは容易である。故に、社会保険庁の年金問題のような組織的な問題においては、社会的責任を誰に負わせるかという犯人探しが必要であるのに比べて、手術ミスをした当人を業務上過失致死なりなんなりの刑事罰で立件してしまえという、ある種の単純さがある。勿論、システム上のエラーをある特定の個人に押し付けて解決したと強弁するのは、単なるトカゲの尻尾きりに過ぎないが。





